「平成」になって、19年目になったというのに、いまだに慣れない。
なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。「○○の事件があったのは平成5年だった」などといわれても、いったん西暦に置き換えないと、ピンとこない。
要するに「平成」という言葉に、リアリティを感じられないのだ。思い返せば、「昭和」という言葉にはまだリアルだったような気がする。
「昭和っていつまであったんだっけ?」
こんな会話を交わしたことはないだろうか。
西暦では、このような疑問は絶対におこらない。
「平成」「昭和」などは時の天皇にちなんで呼ばれる「元号」であり、「昭和」とは、昭和天皇の在位期間であった1926年12月25日から1989年1月7日までの期間を指す。
このように日本には、「平成」「昭和」などの元号と西暦による年号があり、人によっては西暦の方がわかりやすいという人も多いと思う。
それほどまでに、西暦はわれわれの生活になじんでいる。
何しろ、昭和の期間を説明するのにも、西暦が必要なのだから…。
西暦は1873年に導入されたそうである。
いっぽう元号は、日本書紀によれば大化の改新(645年)のときに「大化」が用いられたのが最初であるとされている。
明治以前は、天皇の交代時以外にも随意に改元していたが、明治維新のときに天皇の代ごとに改元する一世一元の制(ひとりの天皇の治世に対してひとつの元号)となった。
現在の日本では、元号についての規定は元号法によって定められているが、元号を使用することを義務付ける法律や規則はない。
元号の使用を強制すると、日本国憲法で保障されている「思想・良心の自由」に抵触する恐れもあることから、どちらかというと慣習や伝統で使用するというのが一般の現状のようだ。
もちろん、元号はナショナルなものなので、「国として「元号」を使用すべきことは当然」というのが政府の見解であるらしいのだが…。
年号を天皇に直に結びつける元号からナショナルな臭いを嗅ぎ取り、これをいやがる人もいるが、元号は、結果として、日本という国に独自の時間を確保することとなり、ヨーロッパの時間(西暦)に日本の社会が飲み込まれることを防ぐ防波堤となっていた。
とくに「開国」によって世界にさらされる時代に作られた「明治」以降の近代日本の元号は、ヒステリックなまでに日本の防波堤として連呼された。
しかし、敗戦とともに天皇よる「人間宣言」がなされ、この防波堤ともいうべき神話的時間は崩壊した。
元号は、皇室がある限り続くだろうが、日本人の生活に対する影響は今後ますます衰えて、いずれ、すべての時間処理は「西暦」というグローバルスタンダードな時間で行われるだろう。
最初に「平成」はリアルでないと書いたが、「平成」という言葉に対するイメージはひとそれぞれだと思う。
会社の女の子たちが「平成」と口にするときのいやそうな表情からすると、彼女たちにとって「平成」とは若さの象徴らしい。
「今年でやっと19年なのだから、平成生まれは若いに決まっているって!」
「平成」と「昭和」を半分ずつ生きたような私にとって、「平成」とは、とにかく崩壊の時代である。バブルの崩壊に始まって、冷戦・東西対立、既存秩序(そして社会倫理も)とずいぶんと色々なものが崩れたと思える。作るのは難く、壊すのはたやすい。
その時代がリアルかどうかは、結局は手ごたえがあるかどうか、自分がどのように生きているかという問題なのだろう。
「平成」がリアルに感じられないとすれば、自分がその時代をよりよく生きていないのだ。決して時代のせいではない。
会社勤めするようになってからは、季節感が乏しくなり、天候の記憶もおぼろげで「すごく暑かった」とか「すごく寒かった」とかしか憶えていない。
身体の感受性もずいぶんと低下しているようだ。
自分で面白くしなければ、この世は面白くならない。不平ばかり口にしても何も始まらない。
「おもしろき こともなき世に おもしろく」
願わくば、「平成」の次の時代になったとき、「あの時代は大変だったけど面白かった」と言えますように。
※参考文献:「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
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